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安定した日々を過ごすコツ

中途半端な完璧主義をやめた

こんにちは、ゆきのです。

 

 

今回はわたしが完璧主義をやめたことについてお伝えします。

 

 

あなたは完璧主義ですか?

 

周りに完璧主義の人がいますか?

 

わたしはずっと「中途半端な完璧主義者」でした。

 

それを手放したことで、今かなり楽だな~と思っています。

 

 

今回はわたしが完璧主義をやめた理由と、やめて良かったことについてお伝えします。

 

あなたがもしわたしのような「中途半端な完璧主義者」だったら、この記事を参考にそれを手放してみてはどうでしょう?

 

 

 

完璧主義をやめた

 

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完璧主義をやめました。

 

 

正確に言うと

 

中途半端な完璧主義だったけど、気がつかないうちにそうではなくなっていた

 

です。

 

 

もっと正確に言うと、完璧主義というよりは「こだわりが強かった」と言うべきかもしれません。

 

 

以前は

 

何ごとも「やるか、やらないか」「0か、100か」という感じで、曖昧(あいまい)さやグレーな状態はあり得なかった。

 

ノートなど、書き間違いは絶対イヤで、キレイに書かないと使い続けたくなくなった。


手帳や日記が書けない日があると、その日で終了、続きは書けなかった。

 

仕事の提出物は、納得いく形に仕上げたい思いが強すぎ、最終的に納得いかないものを期限ギリギリでの提出になった。

 

などなど、完璧を目指すけど、できないからすべてが中途半端になっていました。

 

 

完璧主義だけど、完璧にできるほど無理したり、頑張ったりはしない

 

だから中途半端な完璧主義だったな、と思います。

 

 

そんなわたしが、ふと気がつくと、緩い考え方になっていて、今良い感じです。

 

 

 

なぜ?どうやって?やめたのか

 

なぜ中途半端な完璧主義ではなくなったのでしょうか?

 

完璧主義をやめたいっ!

 

という強い決意のもとにやめたわけではなく、ふと気がついたらやめていたので、改めて考えてみました。

 

 

理由①ゴールを考えるようになった

 

何を目指しているのか、何がゴールなのかを考えるようになりました。

 

 

キレイなノートを作ることがゴールではなく、自分がわかりやすいノートを作り勉強を捗(はかど)らせることがゴール。

 

ならば、書き間違いがあってもOK。

 

むしろ書き間違えた方が、余計に記憶に残ったりする。

 

 

手帳や日記は、毎日書けなければダメではなく、とにかく書き続けることがゴール。(わたしのゴールです)

 

ならば、一日空いてしまってもOK。

 

むしろ空いていた日は忙しかったなとか、書く気がおきなかった日だったな、と思い出せたりする。

 

 

仕事の提出物は、何があるかわからないのだから、ギリギリではなく、期限の余裕がある日に提出することがゴール。

 

ならば、自分が納得いくいかないよりも、期限を守れればOK。

 

むしろ、期限ギリギリの完璧な提出物より、期限まで余裕をもって出したほうが、受け取る側もヤキモキしなくて済んで、印象が良い。

 

 

最終的に目指していることは何か具体的に何がゴールなのかを明確にすることで、中途半端な完璧主義ではなくなりました。

 

それだけではなく、ちゃんと目標達成できる人になってきました。

 

 

理由②周りも大変だと実感した

 

職場に完璧主義の人がいました。

 

すごく仕事ができる人で、責任感も強く、頼りになるけど、怖い……。

 

彼女は自分が完璧な仕事を目指しているので、周りの人の失敗が許せないようでした。

 

決して意地悪な人ではなく、面白くて、性格も良かったのですが、周りは彼女に対してピリピリしていました。

 

 

完璧を目指すと自分も大変です。

 

「失敗できない」「きっちりやらなければ」と仕事をする彼女は、傍(はた)で見ていても大変そうでした。

 

 

でもそれに合わせなければならない周りもかなり大変

 

「完璧主義な彼女は彼女、自分は自分」と思える人は少なくて「仕事ができる完璧主義者が正義」な雰囲気になりがちです。

 

 

それを間近で見て

 

完璧主義って、自分も周りもツラい……

 

と実感しました。

 

 

 

理由③年齢を重ねた

 

最後の理由は、年齢を重ね、色々と考えたり、いくつもの経験をしたからだと思います。

 

 

先ほど書いたような周りも大変だという経験をしたり、本を読んで考えたり。

 

年齢を重ねたことで、良い感じに、曖昧(あいまい)さやグレーな状態も受け入れられるようになりました。

 

 

もっと若いころから、こんな中途半端な完璧主義を手放せていたら良かったのに、とちょっとがっかりでもあります。

 

でもジョン・トッドの「自分を鍛える!」の以下の文を読み、がっかり気分を改めました。 

 

私自身を振り返ってみても、ある時は道を間違え、ある時は選択を誤った。ある時は絶好のチャンスを逃し、ある時は悪しき習慣に染まった。やりなおせるものなら、現在身につけているこの経験をもとに、もう一度人生をやりなおしてみたいものだと、つくづく嘆息しているしだいである。
(引用「自分を鍛える!」)

 

 

誰でも、年齢を重ねた今のこの経験値で、若い日に戻れたら……と思うものなのだな、と。

 

もしこの後、80歳90歳と長生きをしたら、40代という若いころに中途半端な完璧主義を手放せて良かった、と思っているかもしれないです。

 

 

 

完璧主義をやめて良かったこと

 

ふと手放していたと気がついた完璧主義。


完璧主義をやめてから、とても楽です。

 

特に良かったな、と思うことは、2つあります。

 

 

良かったこと①人の失敗を許せるようになった

 

ほかの人がした失敗に対し、寛容(かんよう)になりました。

 

以前は誰かが失敗すると「え?なんでそれ間違えるの?」と、けっこうイラっとしていたんですよね。

 

態度には出さないように気を付けていましたが、内心イライラ。

 

 

でも完璧主義をやめたら、わたしも完璧じゃないし失敗もある、と心から思える。


そうすると、他人の失敗も許せる。

 

 

自分のイライラも減るし、人間関係にももちろん良い影響を与えます。

 
 
 

良かったこと②「とりあえずやってみよう」ができるるようになった

 

完璧主義だと「とりあえずはじめる」ってことができません。

 

以前の記事に書いたのですが、大好きなことを見つける方法の一つに「気になったことをやってみる」というのがあります。

 

yukinolife.hatenablog.jp

 

好きなこと探しをするとき、完璧主義ってかなり邪魔です。

 

完璧に仕上げたいとか、完璧にできなかったらどうしようという思いが強いと、はじめられない。

 

完璧主義を手放したら「ま、気になるから、とりあえずはじめてみよう」とスタートを切れちゃいます。

 

お金や時間がどれくらいかかるか、などは多少調べたりしますが、以前よりはずっと軽い気持ちではじめられるようになりました。

 

 

 

おわりに

 
若いころは、自分が完璧主義だなんて思っていませんでした。
 
むしろ完璧主義ってなんかかっこいい、と思っていた気もします。
 
 
でも「完璧にしたい」が先行すると、何も成し遂げられない、周りも苦しい、とあまり良いことはないです。
 
それに、とにかく自分が苦しいです。
 
 
あなたがもし
 
「わたしも完璧主義っぽいところあるかも?」
 
と思ったら、少し手放してみることを考えてみませんか?
 
 
周りも楽になるし、何よりあなた自身が楽になりますよ。
 
 
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